助けを求める手、差し伸べる手。
ケイト・スペードさんの自殺や新幹線の中での悲惨な事件など。
昨日NHKで熊の親子の2年間の密着番組観てたんですが(途中からです。)
これまで子を守っていた母熊は、親離れした後は自分の子供なのに食べ物を横取りしにくるんですよ。親離れしたらもう親も子もないんですね、野生って。
象とかだと仲間意識強いみたいですが、群ない野生動物は自分を守るために親でも子でもなくなるって驚きました。
人間も以前は群で暮らしてたんでしょうが、段々と村八分とかそういうものが疎まれて消えていってる現在なのですが、
成功者ほど精神の孤独が強くなるのは、群から頭1つひい出している共感者のいない孤独なのでしょうかね。
意外に物質的な支援とかの方が目に見えて簡単なのかもしれません。
寄付とか困っている人に、人はそんなには冷たくないです。
精神的支援は、本人が支援を欲していないと手を差し伸べられない難しさがあります。
「私は困っています、支援を求めています」
そう具体的に訴えがあったのなら、支援の形はいくつか提案がありそうです。
私も2年半前に、乳がんの告知を受けた後に、ずぶずぶと見えないような不安に陥りました。
家族にもわかってもらえないような、日をまたいでガンの人になってしまった自分をどう受け止めていいのかわからなくなりました。
なんで私が?!とイジケ心も出てきたし、入院中に出会った病状の深刻な若いガン患者達の事を思うと、日常に不満タラタラと仕事が嫌だがどうのこうの、人間関係がどうのこうの、全てがとてもたわいの無いくだらない事を言ってる人たちが憎たらしいとさえ思う事もありました。
心の闇とは、受けた傷が脳の認知を歪めて妄想を作り出してしまう。
ここ最近の「個」を求める風潮は「孤」が多くなるとも言えるし、
自由は気楽かもしれないけど、助け合いや思いやりとも反比例しているものだとも言える。
「情」は人間特有のものだと思っていたけど。
人間も動物だから、弱肉強食の世界なのかな。
親が子を捨て。子が世の中を捨てる。