こんな隙間も活用!我が家の水きりかごの話
こんにちは。連休はずっと仕事な私です。
初代食洗機から2代目に買い換えた時、同じメーカーのモデルチェンジだったのに、開閉口の形が変わっていて、微妙に水道の取手にあたってします。取り付けに来てくれたも仕方ないですねとそんな感じ。毎日使うものなでストレスだわ~!
こんな時なんどもネットに助けられてる。シンデレラフィットは根気よく結構探せば見つけられてます。
上げ底台を購入したら水きりかごもついてました。
蛇腹のものである程度水を切ったらこちらに移動すれば、スペースも広くストレスなしです。
お金がない!
家計がピンチ!
教育費が山場
大学生が二人の子供を持つ家庭です。
一人は成人してますが、まだ学生だと子供を持つと言った表現になってしまいます。
本来でしたら最後の支払いとなるはずでしたが、留年してますのでまだまだ一年半となります。ふ~ため息。大きな誤算です。
ものすごい負担です。
長男の大学は年間160万程度、次男は100万程度。
今年は次男は初年度なので、18年間コツコツ貯めてきた学資保険200万円も教習所で30万ほどかかってるし、ほぼ消えてなくなりました。
うちの妹の所は4歳違いの兄弟なので、入れ違いは羨ましい所です。
話を聞いたところ、自分のパート代約80000円を、学費口座にそのまま入れる。例えばその月、90000円稼げたら残りの10000円が自分の小遣いとなる。そんな感じでやってるそうです。
うちはまだ自宅からの通学なので、まだ負担は軽い方なのかもしれませんが、普通の平均的なサラリーマン家庭で年間300万円近くの学費を支払うのはものすごい事ですよね。
なんとかここを乗りきることが人生最大の出費のやま場だとは思っているのですが、人生は先の事は分かりません。
そのような時でも人生の半分程度はやりたいことを消化していくべきと思っているので、ケチケチ生活は嫌です。
それではどのようにこのヤマ場を乗りきるべきでしょう。
ミニマリストの趣旨
不用なものを沢山処分してミニマリストを実行してみましたら、
買ったものに対して自分の過ちを認めた事で、ものを買うと言うことに慎重になったり、安物買いの銭失い思考はもうやめる。
この事に気がつけて良かったと思います。
お金がない事って、見えないプレッシャーが妥協の購入という判断をしてしまう。
本来欲しいものではないランク落ちでは満たされず、100円ショップなどで解消買い行動をしてしまう。
はてさて、支出の絞りこみだけではこの財政危機は乗り越えられるのであろうか。
それぞれの家庭、良いか悪いとか10か1の基準なんておかしい
お金がないと言う事は、わびしいものですね。
義母の人生をから学んだ事は大きいです。(義母ブルースではないですが)
いつも貧乏くさい服をきて、何一つ華やかな事はしないで貯めた二千万円が一瞬で消えた人生は、見ていて悲惨でした。
例えば我が家は、子供に学校を休ませて旅行に行ったことが何度かあるクチです。
これで休まなければ皆勤賞であったかも、と言うような状態の時もありました。
このテーマに関しての賛否両論は、ネットでもよく見かけますが、行ける時に行く、この判断は私は一つも後悔はしていません。
人の人生がいつまで続くかなんて誰にもわからないし、
何よりトップシーズンは料金が高いのですから、高給取りでなければでは、旅行なんて行けないものなのでしょうか、貧乏人は家でじっとしてろって事なんですかね。
私は若い頃に結構いろいろな国に旅行したので、もし老後に行けなくてもそんなに後悔はないと思います。
子供が小さい時に沢山、家族旅行に行けて思い出が宝です。
そもそも、学費は親の役目?
我が家は子供に奨学金を借りてもらってます。
最近これに関しても奨学金は借金だとマスコミにもたたかれ気味、ネットなどでも返済している人の嘆きなどを目にすると親としては罪悪感にさいなまれます。
親の世代と子の世代では大学進学率や学費は全然違うものとなっています。
多分、奨学金を負担に思っている世代は氷河期の団塊だとも思われるのですが、
私自身は、18歳で一度就職して200万円貯めてから専門学校へ行ったので、奨学金を借りる事で、社会に出てすぐ借金を持ってるなんて可哀想、などと言う感覚とは少し違った感情を持っています。
自分が学ぶものを親が全て用意するのが当たり前と言うのは正しいの認識なのでしょうか?
子供を持ったら、それは親の責任と言われてしまったら、それは現在の少子化のごとく、子供は持てなくなってしまいます。
次男は第1種なので無利子です。(実力よりランク下の高校に入学したので成績上位の恩恵を受けたと思われます。)
今は低金利ですが、ただで長期でゆっくり返済させてくれる所はほかにあるでしょうか。
私的には恩恵を受け、できればその分を他に回し、例えばオートローンや住宅ローンなどの高金利なものを減らす方が得策ではと思っています。
まとめ
私が乳がん患者だからと言ったことだけでなくても、これまでの人生で「行ける時に行く」事で満足のいった人生になっていると思います。
子供のために常に我慢してやりたいことも何もできなかった。
そんな風に言われても子供も負担だろうし、自分の人生に対して失礼だと思います。
とは言え、人生とはなかなか苦難の道で、できない事が多々あり、特にお金がなくて実現できないといったものの方が多いとも思います。
なので50%の満足、全く何もできないのではなく、常に少しは実現していく事が、予想できない未来に後悔しない生き方ではないかと、
このピンチもそんな風に過ごしていきたいなと思っています。
とりあえず皆んなで働く事ですね。細く長く!それが1番かな。
9・11に思う、人はどこまでリスク管理をできるのか。
今週のお題「わが家の防災対策」
玄関が意外に頑丈にできていると言うことで、玄関付近中心に防災グッズは置いています。我が家は鉄筋コンクリート戸建てなのですが、建てた25年前はそこまで地震の事は考えていませんでした。(3・11以前の事でしたから。)
当時はカントリーや輸入住宅ブームだったので、無機質な鉄筋コンクリート建ては不満でした。(親の息がかかった家なので自分の好みは反映できない家作りでした。)
その後日本が数年おきに大きな地震に見舞われた事で、価値観も変わりました。
今は大型家具はほとんど処分しました。
9・11に思う・・
30年前、20歳前半の私は1ヶ月ほどニューヨークに滞在していました。
なので2001年、テレビの映像は本当に衝撃的でした。
私が滞在していた当時は、ロス暴動があった年で 人種の問題も今よりもっと悪く、治安も悪かったと思います。それでもセントラルパークでは穏やかに人々がランニングしていたし、当時は日本がバブル絶頂だったので多くの日本人が5番街でショッピングをし、特に「ティファニーで朝食を」の場所でオープンハートのネックレスを、まさに爆買いしていました。
今の中国人と全く同じでした。非難なんて言える立場ではないものです。
当時の日本企業だっていろいろステータスのある所を買いあさりましたからね。
一時期でも滞在していた場所でこのような事が起きるとは全く想像の域を超えていました。
1995年の地下鉄サリン事件は、長男を妊娠中でした。
そして9・11は、次男が一歳。
その10年後に、3・11です。
そして乳がんの治療中に熊本地震。
そして今年。
この20年間で、価値観もかなり変わりました。
平凡で平凡な普通の人間な私の人生。
それでも、起きる出来事は想像の域を超えている。
一般人ができる小さな身の回りのリスク管理と、世の中の大きな動きへのリスク管理。
できる事には限度がある。
それでも、できる事をするしかない。
ここ最近頑張ったセリア&ダイソーのDIY3選!
スイッチカバーは、もともとマスキングテープでデコってたのですが、今年の猛暑が強烈なのかでれでれになってしまったので、すこしリニューアルしました。セリアのタイル風シート。
我が家は電話、テレビ、インターネット、オール光なので、電話回線は使ってない。
食器棚は処分して今は「アルミスチール」使用なのですが、水きり即、直行!と言う感じで時短なのでこのままいってます。リニューアルな部分は、ダイソーのビッグクリップでプレート風にした所。
あとはまだ途中なのですが、やっぱりリメイクシートが猛暑のせいなのか、キッチンだからなのか、でれでれ端が剥がれてくるので、ブロックシートに移行中。今日も10枚買いましてきました。
リビングの旦那の吹きだまりゾーン対策
オットマンとは、夫man?
片付けられない人って、手の届く1メートル以内に置いときたいんだよね。
いくら言ってもダメだし、収納ケースもジプシーしてきたよ。
クローゼットまでなんて置きにいかないし、いくら玄関に置き場作っても、言うことなんて聞かない。
とにかく仕事から帰ってソフアーにドカッと座ってから、ポケットの中身じゃらじゃらだして、マーキング?するんだよね。
そして「あれ?どこ?」は一年中だし。
妻がガンになっても治らない事は、もう自分じゃ 絶対改善不可能!って事なんですよ。
私ももう生きるためにイライラはしたくないので、科学的にとか計測、人間観察的にとか、そういったアプローチで改善していく所存です。
そうそう、
最近焼きそばもホットクックしてて、
蒸し焼系も以外にうまく出来るのでお薦めです。ぼいっと材料入れ込んでスイッチオン!なのでお昼ご飯とかに気楽です。
無水なべなので、特性を理解すれば独自アレンジの幅広がりそうです。
同病で逝かれた、さくらももこさんに思うこと。
さくらももこさんも乳ガンで召されてしまいましたが、私はTwitterやブログのプロフィールに「乳ガン患者です」と入れたり消したりを繰り返しています。ガン=死とネガティブイメージで人が引いていく感覚を何度も体験しているからです。
— KIKO&DEKO (@kikoanddeko) 2018年8月28日
あなたにとって片付けとはなんですか。
治療後はしばらく仕事を辞めて専業主婦をしていたのですが、専業主婦と言うものは、家が職場になってしまったんだなと感じました。
仕事をしている時間は、そこのスタッフという人間でいるわけなのですが、
専業主婦をしていると、私は私と言う肩書き以外何者でもないわけです。
妻、母、・・そしてガン患者と言う肩書きで100%の自分が構成されているわけです。
私の職業は、家の片付けなのですから、業務がうまく遂行されないとイライラとしてきます。この業務が私自身を構成しているかなり多くの成分なのですから、この事にとらわれて、使ったものをもとに戻さない家族の行動に一喜一憂します。
自分を構成している成分とは、脳内のとらわれ構成の事です。
頭の中はいつもこのような事、同じ事を反芻している。
ため息が出てしまうのなら、これは摩耗している家事であり、
鼻歌が出るのなら、これは楽しい趣味の分野であるのでしょう。
私はただ、スッキリとしたリビングで、こうしてお茶をしたいだけなのに、
なぜ嘆きヒステリーを起こさなくてはいけないのか。
こうなってしまったら、方向は完全に違った方向へ向かってしまっています。
私は、スッキリとした家や家事への執着を捨てるために、
私はある会社のスタッフという人間である時間を持つ事にしました。
半分の時間は、とらわれている場所は別の部分です。
私は私であるけれど、その私ではない私になっているわけなのです。
スッキリとした感覚は、中毒性があり、再現のために執着します。
捨てに心を奪われてしまうのも、この執着なのでしょうね。
私は私の人生の何%かは、母で構成されており、何%かはある会社のスタッフであり、残りの少ない%は、ガン患者という意識で構成されています。
以前はこの構成配分が、家事とガン患者の比率がかなり多くしめていたので、とても苦しかったです。
さくらももこさんも、きっと母と、仕事と
ガン患者と言う構成配分を保ちながら闘病されていたのかもしれません。
人間は1つの肩書きだけでなく、いくつもの肩書きから構成されていて、生活、人生を暮らしているわけです。
そしてその肩書きは自分でいくらでも増やす事はできて、ときに配分比率を変えたり、成分を変えたりもしながら、自分の望む人生を送っていくことができるのでしょう。