同病で逝かれた、さくらももこさんに思うこと。
さくらももこさんも乳ガンで召されてしまいましたが、私はTwitterやブログのプロフィールに「乳ガン患者です」と入れたり消したりを繰り返しています。ガン=死とネガティブイメージで人が引いていく感覚を何度も体験しているからです。
— KIKO&DEKO (@kikoanddeko) 2018年8月28日
あなたにとって片付けとはなんですか。
治療後はしばらく仕事を辞めて専業主婦をしていたのですが、専業主婦と言うものは、家が職場になってしまったんだなと感じました。
仕事をしている時間は、そこのスタッフという人間でいるわけなのですが、
専業主婦をしていると、私は私と言う肩書き以外何者でもないわけです。
妻、母、・・そしてガン患者と言う肩書きで100%の自分が構成されているわけです。
私の職業は、家の片付けなのですから、業務がうまく遂行されないとイライラとしてきます。この業務が私自身を構成しているかなり多くの成分なのですから、この事にとらわれて、使ったものをもとに戻さない家族の行動に一喜一憂します。
自分を構成している成分とは、脳内のとらわれ構成の事です。
頭の中はいつもこのような事、同じ事を反芻している。
ため息が出てしまうのなら、これは摩耗している家事であり、
鼻歌が出るのなら、これは楽しい趣味の分野であるのでしょう。
私はただ、スッキリとしたリビングで、こうしてお茶をしたいだけなのに、
なぜ嘆きヒステリーを起こさなくてはいけないのか。
こうなってしまったら、方向は完全に違った方向へ向かってしまっています。
私は、スッキリとした家や家事への執着を捨てるために、
私はある会社のスタッフという人間である時間を持つ事にしました。
半分の時間は、とらわれている場所は別の部分です。
私は私であるけれど、その私ではない私になっているわけなのです。
スッキリとした感覚は、中毒性があり、再現のために執着します。
捨てに心を奪われてしまうのも、この執着なのでしょうね。
私は私の人生の何%かは、母で構成されており、何%かはある会社のスタッフであり、残りの少ない%は、ガン患者という意識で構成されています。
以前はこの構成配分が、家事とガン患者の比率がかなり多くしめていたので、とても苦しかったです。
さくらももこさんも、きっと母と、仕事と
ガン患者と言う構成配分を保ちながら闘病されていたのかもしれません。
人間は1つの肩書きだけでなく、いくつもの肩書きから構成されていて、生活、人生を暮らしているわけです。
そしてその肩書きは自分でいくらでも増やす事はできて、ときに配分比率を変えたり、成分を変えたりもしながら、自分の望む人生を送っていくことができるのでしょう。