昨夜のクロ現「つながり孤独」と言うワード
— KIKO&DEKO (@kikoanddeko) 2018年7月25日
接続過剰な日常。
— KIKO&DEKO (@kikoanddeko) 2018年7月25日
数字に常に追われてる。
— KIKO&DEKO (@kikoanddeko) 2018年7月25日
繋がりの限界。
今の若い人は繋がり損なうと孤独と感じてしまうから大変かも。孤独は自分と対話する時間とする。
— KIKO&DEKO (@kikoanddeko) 2018年7月25日
自分が若い頃は、ネットもSNSもなかったけど、やっぱり所属意識とか友達とかの事ではいろいろ同じようなも感情はあったよね。
だから余計、25歳クリスマスケーキなんて言葉もあって(女性は25歳を過ぎると行き遅れになると言う意味の90年代初期の流行語。)みんな一生懸命、婚活してたと言うのもある。
寿退社と言う言葉もあって、女性の居場所は今よりもうんと限定されていたとは
思うけど、今の方がいろいろな価値観を認める世の中になってきているのに、
今度はネットの中に居場所を求めて孤独を感じるなんて、人間はツールが変わっても根っこは変わらないと言うのはやっぱりそうなんだと思う。
- 一人でいる方が快適な人
- 人といる事がいいと言う価値観の人
- 両方ミックスした価値観の人
別にさみしいと感じてしまうのは全然悪い事とかじゃなくて、寂しいと思うから、友達を作ろうとか、結婚しようとか、子供を持とうとか思うわけで。
さみしい=かわいそう
とか言う言葉のすり替えが問題なのであって 、認めてもらいたくて頑張るとか言うものも決して悪いことではなく、逆に良いものであるんだけど、
頑張る=かっこ悪いと思ってしまうのが若さなんだよね。
(何頑張っちゃってるの〜とかね。)
自分もこのブログを始めた頃は、ガンになって、なんだか孤独を感じて、
それでまぁ・・ブログを始めたって所かな。
周りの友達とか、いくら仲よくてもやっぱり気持ちはわかんないものね。
前にも書いたけど、離婚した友達に「うんうん、わかるよ」と返事してたら、「へぇ、本当にわかるの」っと、冷ややかに言われたって話。
結婚25年も経つと、そんな気持ちになる事もあるから、想像はできるけど実際離婚はしてないから、わかるわけないのね。
その時に、人はそれぞれ全く同じ状況じゃないんだから、分かって!なんて無理なんだなって、その時悟ったわけ。
このクロ現の番組で、「ツイッターに8000人フォローされてるのに、何か呟いても4人とかしか反応してくれない」とかで、病んでしまった女の子が出てたんだけど。
私もフェイスブックとかしてるから、いつもキラキラセレブ生活してる友達がいて、
この間も、その友達と会ったんだけど、実際の裏話を聞いたら、そうなんだ〜と辻褄があったわけ。
そうやって、会話を重ねてリアルの溝が埋まるのが本来の人間関係の築き方なんだろうな。
こっちもかっこ悪いとこ見せたら、向こうのかっこ悪いとこちょい出ししてきたりね。
そう言う事が、顔色見ながらの手の内の札を見ながらのってものだよ。
超冷め冷め女の私だって、30年かかって築いてきた友情からも感じたよ。
親友なんて言葉嘘くせぇとか思ってきたからね。
「トッケビ」って言う韓国ドラマの中で、目の見えない老人が天国に行く扉を開けたら、そこに前に死んだ盲導犬がいて、死神さんが「ご主人の事が心配で、あの世に行かずここでずっと待ってた」とか言うシーンがあったんだけど、
物語で、あの世の存在をそのような表現をする事はよくあって、
たしかに死は無になるから怖いように感じるけど、大好きな人が先に行って待ってる所だとすれば、孤独に感じる気持ちも薄れるかも、そんな事も感じた。
SNSの文字制限の中で、自分と言うものを理解してもらうのは相当難しいし、
そのアウトプットは、偽装されたものかもしれないし現実とは違うものであるのかもしれないし。
30年かかって作った友情と、同じものであるわけがない。
そう考えると今時の若者の人生は、いつも霧の中で目眩しで歩いているようなものなのかもしれないね。